山小屋は昔のイメージと違って快適な施設になっている
恐る恐る山歩きを始めようとしている人に山小屋の楽しさをいくらいっても、遠い話としてしか受け取ってもらえないことが多い。 さらに悪いことには、昔、山を歩いていた人たちには山小屋の悪い思い出がいっぱいあるので、「夏休みのピークには1畳3人」なんていうと、悪夢の再来としか思ってもらえない。 昭和30年代の登山ブームの山小屋では「山のてっぺんで米がとれる」といわれたという。当時は登山者は米を持っていって炊いてもらうというのが一般的だったらしい。その米を(いくぶん意図的に)まずく炊くと米が余るから、かついで下りたという。それから山小屋は、経営のシステムがまったく変わってきた。ヘリで荷揚げすることで、山小屋は、僻地から文明の飛び地へとロケーションを変えたのだ。水の得られる小屋とそうでない小屋との格差は今も大きいが、客が増えればどんどんヘリを飛ばせばいいわけで、輸送力に限界のあったボッカの時代とはまったくちがう。
そして今や、保護された自然環境を独占的に享受できる宿泊施設として、山小屋はビジネスとしての可能性も見せている。幸いなことにまだローカルだが、観光資本によって系統的に経営される傾向も出てきた。 食料や燃料をどんどん運び上げるので、夏休みの北アルプスではヘリが終日ブンブン飛び回っていたりする。そのおかげで、登山者はファミリーレストラン並みの食事や生ビールを期待できる。コーヒーとケーキだってごく当たり前になってきた。それもガラス張りの展望レストランという、ぜいたくなロケーションのおまけつきだ。
拡大経営の象徴が北アルプスの白馬岳にある。山頂直下にある白馬山荘はなんと収容人員1500人。その下にある白馬村村営宿舎が1000人という巨大な宿泊施設となっている。山が一番にぎわうといわれる、7月の最終土曜日に山頂に到着した登山者は合計約5000人と聞いた。一夜にして5000万円に近い金が白馬岳山頂部に落ちたのだ。
山小屋はどんどんおいしくなっていく
かつて帝国ホテルと資本提携してヨーロッパ並みの山小屋として君臨した、北アルプス燕岳の燕山荘には、玄関部分にその豪華山小屋の名残がある。ソフトクリームが技術課題になっていた。 というのは、山小屋では発電機を回す時間で冷凍機を動かすだけなので、必要なものだけを取り出すと、あとは保冷状態にしておかなければならない。ソフトクリームを作るということは、発電機を営業時間中ずっと回すということを意味する。そういう経営を山小屋がやっていいのか?という問題を含めて、燕山荘は悩んでいた。
最近のことだが、唐松岳頂上山荘に泊まったら、生ビールがあった。そこまでは驚かなかったが、凍らしたジョッキで出てきた。もちろんここでは24時間発電をやっている。「夜間、暗い階段で転んでケガをするのを防止できますから」というのが、24時間自家発電の公式の弁明のようだった。 そうやって街泊環境を整えた山小屋に、中高年の登山者が集まるので、そこにも技術革新の波が押し寄せている。結果、食事はいつも「おいしい」という範囲におさまっている。
山小屋泊まりの装備
小屋泊まり縦走で1泊という規模だったら、持ち物は日帰りの場合と大差ない。現金という強力な装備があればいい。泊まりがけというと「着替え」が問題になるようだが、山小屋が特殊なのは、着替えずに寝るというところにある。寝間着が用意されていれば旅館や民宿で、着たまま布団に潜り込むのが山小屋、という分け方が一番現実的かもしれない。 つまり着替えがあれば、山を下って温泉にでも入ったときに、ということになる。山小屋で着替えるチャンスは案外少ない。ただ、小屋泊まりの護身用装備として、ゴアテックスのシュラフカパー (寝袋型透湿防水袋)があると安心度は抜群のものになる。 これは混んだ夜に、隣の人との関係を遮断し、冬のすきま風や、湿った布団から身を守り、睡眠時に快適な空調空間を与えてくれる。 さらに、貴重品を放り込んで一緒に寝られるというマイルーム機能。中でもぞもぞと着替えもできる、という点が女性にはハナマル。 もうひとつ、小屋泊まりで便利なのは、ポケットに入る小さなライト。キーホルダーサイズのLED(発光ダイオード)がおすすめだ。消灯後にザックの中身を取り出したり、トイレに行けるのに光量は十分だ。
