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登山道といっても尾根や谷道によって全然違ってくる

森林限界の上と下とで、登山道は性格が変わる
登山と一口にいうけれども、道に頼って登る登山と、道を拓きながら登る登山では世界がまったくちがうということは知っておいていただきたい。そこをごっちゃにすると、しばしば「話が違ってくる」からである。

はっきりとした道のつけられている一般ルートをたどるのであれば、百名山であろうと、北アルプスであろうと、登山道自体は驚くほど似ている。ただ、本州中部で標高2500メートルあたりを上限とする森林限界の下と上とで、登山道の性格がガラッと変わることには気をつけたい。

登山道をどんどん登りつめていくと、森がしだいに貧弱になってきて、ハイマツが出てくると亜高山帯。森林限界を越えたので、その上には高山帯が広がっている。岩の世界に高山植物が咲き乱れている。 そのような岩稜地帯になると、森林帯でははっきりとしていた踏み跡道がしばしばなくなる。石を積んだケルンが立っていたり、岩にペンキで目印がつけられていたりする。つまり「登山道」がはっきりした道から、目印を頼りに歩くトレースに変化する。「見失いやすい道」になってしまう。濃いガスに巻かれたり、雪がひと降りしただけで目印が消えてしまうのだ。

あるいは真夏。多くの登山者が列をなして登るのであまり問題を感じない岩稜の道は、今度は落雷という危険をかかえている。森林帯であれば直撃される危険のほとんどないカミナリが、稜線上では身を隠す暇もなく襲ってくる危険をはらむ。

森林帯という保護バリアから出てしまうので、風も雨も凶暴になることが多い。自然が敵意を見せはじめる。世界が違うという認識をもって、つねに逃げ道を視野のはしに保ちながら前進するという慎重さが必要になってくる。かくしてほんのわずかだが、道を拓きながら進むという必要が生じてくる。

だから登山道(厳密にいえば一般ルートの登山道)を森林に包まれた世界として話を進めたい。 登山道によって登るといっても、登山道は突然、薮の中に消えかかることもある。林業地帯では作業道が複雑に交差して戸惑うことも多い。どうしたらいいのか?

じつは登山道そのものにきちんと向き合っている限り、そこからはぐれる危険は意外に少ない。一瞬道を見失ったとしても、すでに警戒しながら踏み出しているので、ほとんど問題なく正しい道に戻れる。立識が偵察モードに切り替わっているからだ。そうなるためには、まずは登山道を分析的に見ることから始めよう。

第一に尾根道と谷道とに区分する。谷から尾根へつなぐ部分を三番目の区分とする。 原則として谷道は緩やかな傾斜で山の奥へと切り込んでいく。水が流れているところでは斜面はそれほど急にならない。傾斜が急になるのは滝が連続するようになってからだ。沢登りに属する領域が現れる。

ところが登山道は、沢登りにならないようにして谷道の適当な地点から尾根へと逃げる。谷から尾根へと上がる斜面が日本の山の急峻な部分なので、道はジグザグを切りながらぐんぐん高度を稼いでいくことになる。 その道が歩きやすいかどうか、初心者にも楽々登れるかどうかは、道をつけた人の考え方と力量による。初心者向きの道はジグザグが大きすぎてムダに距離ばかり長いという感じがするし、山仕事の人たちの杣道という感じだと、傾斜もきつく、足場も乱暴で、初心者にはつらくなる。

その道が歩きやすいかどうかは一概にいえないが、難易度を決める要素となってくることが多い。 尾根に出ると、一般的には傾斜はかなり緩やかになる。けれども途上に「〇〇山」と名のつくようなピークがあれば、尾根上にそれなりの存在を主張するだけの突起となっているわけだから、急な登りと下りがワンセットになっている。

結果的にいえるのは、尾根に上がってからの登山道が尾根なりにまっすぐ延びているときには、傾斜は20度ぐらいまでと考えていい。それより傾斜がきつくなると道はジグザグを切りはじめる。 道をそういうふうに分析的に見ていくと、登山道は総じてシンプルな構造になっていて、ドラマチックに見えるのは、周囲に複雑な背景がめぐらされているからということがわかってくる。